メロヴィング朝の迷走

フランス史
画像出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ローマ教会からお墨付きを得て他のゲルマン民族を駆逐して今のフランスにあたる地域を支配したクローヴィス1世でしたが、511年彼が亡くなるとメロヴィング朝フランク王国は迷走を始めます。

今回のタイムライン

496年~629年までにフランスに起ったことを語っていきます。

devmilk
devmilk

629年まで130年あるけど、この間は太平の世だったの?

sugar
sugar

いやいや、その反対。戦国の世だよ。

クローヴィス1世の息子たちの分王国

511年年頃のフランク王国
@devsugar.biz

511年クローヴィス1世は崩御します。彼の死後、王国は4人の息子たちによって分割統治されますが、分割された領土は、いずれかの息子が亡くなると生き残った国王の領土に吸収されました。この王家の分割相続システムは、サリカ法(フランク族サリー支族が決めた法典)にしたがったもので、メロヴィング朝のみならず、その後のカロリング朝、ヴァロア朝、そしてブルボン朝がこの伝統を継承してします。
さて、こうして4人の息子に分割された王国は、ランス地方をテウデリク1世、オルレアンをクロドメール、パリのある北西部をキルベルト1世、ベルギー地方のソワソンをクロタール1世が統治することとなりました。

devmilk
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つまり、欧州の基盤はゲルマン民族にあるってことなんだね。

sugar
sugar

そこが驚きだよね。お互い対立してたブルボン王家とハプスブルグ王家でされ、このサリカ法の伝統を守ってたってわけだから。

devmilk
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王朝が変わってもシステムは継承するって中国王朝とだいぶ違うんだね。

生き残ったクロタール1世の光と影

524年、オルレアンを相続したクロドメールが亡くなると、キルデベルト1世とクロタール1世はクロドメールの息子たちから領土を奪って、自領としました。その後、534年にランス地方を相続したテウデリク1世が亡くなり、555年に彼の息子が亡くなるとこの分王国を継ぐ者がいなくなります。さらに北西部を統治していたキルデベルト1世も558年に亡くなります。 つまりクローヴィス1世の血を引く正統な王位継承者はクロタール1世のみとなり、フランク王国は彼の代に再統一されます。

こうして晴れてフランク王となったクロタール1世ですが、実の息子のクラムの反乱に悩まされます。止まないクラムの反抗に遂に堪忍袋の緒が切れたクロタールは、息子とその妻子を追い詰め、焼き殺して反乱に終止符を打つのでした。その後、クロタール1世は自責の年に駆られ寿命を縮め561年に亡くなります。

中世の騎士
ha11okによるPixabayからの画像
devmilk
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親が子とその妻子を焼き殺すって残酷!

sugar
sugar

歴史、とくに乱世になるとこういうことはよく起きるよ。

終わらない兄弟王国の戦いと国の分裂

561年頃のフランク王国
@devsugar.biz

クロタール1世が亡くなると、フランク王国は4人の息子たちによって再び分割されました。
長兄のシギベルト1世はアウストラシアを、次男のグントラムはブルグント、三男カリベルト1世はパリの王国、末子キルペリク1世はのちのネウストリアを継承します。567年に三男カリベルト1世が亡くなると、彼の王国は残った3人の兄弟たちの王国に吸収されていきます。

568年、ネウストリアのキルペルク1世の王妃、ガルスヴィントが急死し、愛妾であったフレデグンドが王妃になりますが、これをきっかけにネウストリアとアウトラシアの対立が激しくなります。 フレデグンドはもとはキルペルク1世の王妃の侍女でした。その美貌と策略でキルペルク1世の愛妾となり、最初の王妃を修道院に送り、キルペルク1世が西ゴートから迎えた王妃ガルスヴィントを王と共謀して暗殺し、王妃の座につきます。
キルベルク1世は当初、王家と王家の結びつきという正統派結婚に憧れていました。それで西ゴート王国の王女と結婚したのですが、次第に正統派王妃の潔癖さに嫌気を覚えるようになり、愛妾であったフフレデグンドを王妃したというわけです。

devmilk
devmilk

それなら最初っからフレデグンドを王妃にすればよかったのに…。
人騒がせな王様だ!
それにしてもまさに女の下剋上。女に権利がない時代じゃなかったの?

sugar
sugar

結婚はいつの世も夫婦の価値観が一致しないと長続きしないもんだよね。
歴史はいつの世も、動くのは男で裏で動かしているのは女なのさ。

女の戦い-フレデグンドとブルンヒルド-

暗殺を命じるフレデグント
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

フレデグンドの策謀は王妃になった後も続き、あちこちに刺客をはなちます。そして575年、アウトラシア王シギベルト1世が彼女の刺客に殺されてしまいます。シギベルト1世の王妃、ブルンヒルドはキルペルク1世夫妻に殺されたをガルスヴィントの妹でもありました。夫と妹を殺されたことでブルンヒルトは夫婦を激しく憎むようになります。ブルンヒルドは夫亡き後、幼い息子キルデベルト2世の摂政としてアウトラシアを治めることになりますが、ネウストリアとは対立を深めていきます。

ブルンヒルド
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

584年キルペルク1世が亡くなると、フレデグンドが息子クロタール2世の摂政となります。つまり、アウトラシアではブルンヒルドが、ネウストリアではフレデグンドが息子の摂政となって政治を行い、両国は対立を深め度々戦うことになります。

devmilk
devmilk

フレデグンドは愛妾上がりだけどブルンヒルドは王族出身だから
自分が女王になってもよかったんじゃない?

sugar
sugar

ブルンヒルドはメロヴィング朝の人間じゃないし、もしそうだたっとしてもフランク民族は伝統を重んじるから「直系の男の跡継ぎが王になる」が絶対で、女の国王はだめなんだよ。

最初の分割以降、分王国間の領土を巡る戦いはずっと続いていました。それぞれの王を支えていたのは諸侯の軍事力と経済力でしたが、この時代、国という概念はなく、諸侯たちはどの王につけば自分たちの領土に得があるのかという判断基準で支持する王を決めていました。

処刑されるブルンヒルド
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

クロタール2世はそうした諸侯の心を掴んでいたのに対し、ブルンヒルドは権力を押し付け諸侯たちの反感を買い、アウトラシア諸侯の中からはクロタール2世に与する者が現れるようになります。
そして徐々にクロタール2世は戦で優位となり、613年ブルンヒルドは敗れて捕らえられた後処刑されます。

devmilk
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処刑の時、ブルンヒルドはおばあちゃんになってるわけだからこの処刑はむごいよね。

sugar
sugar

ブルンヒルド自身も宮宰や孫を殺してるし、
個人的理由で戦争したりしてるから因果応報とも言えるね。

ダゴベルト1世のフランク再統一

600年頃のフランク王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

各分王国の諸侯たちは分王国時代から継承してきた政治力を維持したいと考えていました。この意を汲んだクロタール2世は、614年パリ勅令を出し、宮宰という王に代わって政治を行う管理職に権限を与えました。また諸侯の希望に応え、アウトラシア王に息子のダゴベルト1世をつけます。629年クロタール2世が亡くなると、ダゴベルト1世がアウトラシア、ネウストリア・ブルグント王位を継承しフランク王国は130年の時を経て再び一つになります。

ニーベルンゲンの歌のブリュンヒルド

ニーベルゲンの歌 ブリュンヒルド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニーベルゲンの歌は、ネーデルラントの英雄・ドラゴン殺しのジークフリートの非業の死と彼の妻、絶世の美女クリームヒルトの復讐劇を描いた叙事詩です。 クリームヒルトはブルグンド王国の王女でした。アイスランドにはクリームヒルトと並ぶ美貌を持ち、名高い女剣士でもあった王女ブリュンヒルデがいました。クリームヒルトの兄グンテルは彼女に求婚し、妻にしますが、プロポーズ承諾を決める剣の試合にも初夜の契りにも義弟のジークフリートの知恵と力を借ります。 これをクリームヒルトがブリュンヒルドとの口論時にばらしてしまい、これが原因でジークフリートは殺されてしまいます。 ここからクリームヒルトの復讐が始まりますが、復讐の鬼と化したクリームヒルトもまた非業の死を迎え物語は終結します。
女傑ブリュンヒルドのモデルはブルンヒルドとフレデグンドだったと言われています。

devsugar
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物語の中のブリュンヒルドは美女だけど男勝りで
結婚しても夜の営みを拒んで
夫を天井から吊るすとか、プライドを傷つけらたといって
すぐに暗殺しちゃうとかモデルに通じるところいっぱいあるね。

devmilk
devmilk

最初はドラゴンとか出てきてファンタジーなのに
途中から復讐劇になってハッピーエンドじゃないところが
時代を反映してるよね。