中世を騒がせた王妃アリエノール・ダキテーヌ③

  • 2024/11/04
  • 歴史

「中世を騒がせた王妃アリエノール・ダキテーヌ」思いがけず連載となり今回3回目となります。
前回の記事では、ヘンリー2世に愛人ができたことでアリエノールはヘンリーと決別し、故郷のアキテーヌで新しい人生をスタートさせました。しかし、事は思わぬ方向に向かい、夫婦・親子喧嘩を超え、英仏を巻き込む争いに発展していきます。

目次

これまでのストーリー

戦いの果ての幽閉生活

夢枕に立つ長男アンリ

AdobeStock,

1183年のまだ月が明るいソールズベリーの明け方、アリエノールは夢うつつでした。司祭と番人だけが話し相手という孤独な幽閉生活は、この時既に9年を超えていました。
ふと窓に目をやると、そこにはずっと会っていない長男のアンリが立っていました。

若アンリ(イメージ)
出典:Henry The Young King from X

「アンリ、あなたどうしてここに?」
アリエノールの問いにアンリは答えず、ただ微笑んでこちらを見つめるのみ….。
起き上がって腕を掴むと、その瞬間アンリは淡雪のように消え、アリエノールはこれが夢であったことに気が付くのでした。

アリエノール幽閉のいきさつ

1167年に故郷のアキテーヌに戻り、反抗する諸侯たちを束ねるはずのアリエノールでしたが、実際は諸侯たちを扇動し、ヘンリーへの対抗勢力を育てました。そして1169年にヘンリ―が早々と息子たちに分割相続を決め、イングランド王位を長男アンリに譲ると、形だけの王冠を嫌ったアンリが弟たちを味方に引き入れ、父に反抗を企てます。

これを知ったアリエノールはすぐさま息子たちに加勢し、ヘンリーは窮地に追い込まれます。しかし、歴戦を勝ち抜いてきた彼は、鬼神のごとく攻勢し、あっと言う間に反乱を鎮圧します。その後、息子たちはその若さゆえ許されますが、加勢した諸侯たちは処刑され、アリエノールはイングランドで幽閉されてしまうのでした。

Image by Peter H from Pixabay

アンリが夢に出てきたのは幽閉生活が9年続いたある朝のことでした。
普段は訪れないウェールズの司祭が訪ねて来た時、アリエノールはアンリがもうこの世の人ではなく、自分に別れを言いにきたことを悟ります。アンリはこの年父王に対して二度目の反乱を起こし、戦の途中で病に倒れ、そのまま息を引き取ったのでした。

ヘンリー2世の末息子ジョンの偏愛

若アンリの死後、リチャードがイングランド王太子となり、もともと持っていたアキテーヌに加え、若アンリが相続したノルマンディとアンジューの領土を継承することになりました。そこで父王ヘンリー2世は何も持っていない末息子ジョンにアキテーヌを譲らせようとします。

出典:Creema

ヘンリーはかねてから何も相続できなかった4男ジョンが不憫でたまりませんでした。末っ子はいつの世も両親に愛されるものですが、ヘンリーのジョンに対する偏愛は度を超えていました。
ところでジョンに与えようとした領土は、なぜノルマンディーやアンジューでもなく、アキテーヌだったのでしょうか?その理由は明白です。この時、水面下でアリエノールとの離婚を画策していたので、彼女の影響が及ぶ地域を愛息子ジョンを通して取り上げたかったのです。こうしておけば、離婚しても広大なアキテーヌはヘンリーのものです。もうここには、かの日心をひとつにし英仏をまたぐ新しい国づくりを夢見た年下の夫の面影は微塵もありませんでした。

因縁の国王二人の最期

サン・ドニ大聖堂 歴代のフランス国王の墓所
出典:viator

若ヘンリーが父王に二度目の反乱を企てていた1180年の秋、フランスではルイ7世が臨終を迎えていました。領内の大部分がプランタジネット領となった脆弱なフランスを、狩に行けば森で迷子になる頼りない若い王子フィリップに王位を継がせることは大変心残りでした。しかし、後にこの利発な王子は父王の不安を見事に覆すことにになります。

ウェストミンスター寺院 歴代のイングランド国王の墓所
出典:hjjanisch by flickr

ルイ7世の崩御から9年後の1189年の7月、ヘンリー2世もまたこの世を去ります。
宿敵ルイ7世が亡くなって一安心したかと思えば、今度は息子のフィリップ2世があろうことか息子たちと組んで牙をむいてきます。この時、長男若ヘンリは既になく、三男ジョフロワも騎馬試合で事故死しており、残った息子は次男のリチャードと末息子ジョンのみでした。
領土の相続をめぐり、リチャードはヘンリ―と対立します。そして義兄にあたるフィリップ2世を味方に引き入れるのですが、あろうことかそこにジョンまでも加わっていました。
これを知ったヘンリーの落胆はこの上なく、既に病床にあったヘンリーは生きる希望を失い、56年の生涯を終えるのでした。

リチャードの即位とアリエノールの解放

1189年9月、リチャードはリチャード2世としてウェストミンスター寺院で戴冠します。
アリエノールは国王の母としてこの戴冠式に参列しましたが、彼女の15年にも及ぶ幽閉生活は故ヘンリー2世が崩御した時点で終わりを迎えていました。彼女はこの時70近い年齢に達していましたが、背筋をピンと伸ばし、表情には知性がみなぎり、国王の助言者としてふさわしい風格を保っていました。

リチャード1世
出典:フリー百科事典 Wikipedia

そして当のリチャード2世はというと、堂々たる体格、自信に満ちた表情と威厳をそなえた風情があり、王としての必要なものをすべて兼ね備えていました。
アリエノールは夫と目指した新しい国づくりを、今度は力強い息子とともに進めていくことになります。

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