カエサルのガリア遠征

  • 2023/10/23
  • 歴史
カエサルのガリア遠征

紀元前7世紀~5世紀頃、現在のフランス・ベルギーの全土とオランダ・ドイツ・スイス・イタリアの一部は古代ローマ人によって「ガリア」と呼ばれていました。この地にはローマが興る以前からケルト人が住んで集落を作って暮らしていました。ガリアが世界史に登場するようになったのは、カエサルがガリア戦記を残してからです。

今回のタイムライン

紀元前7世紀~紀元前51年までにフランスに起こったことを説明します。

古代のフランス ケルト人の素朴な営み

紀元前7世紀~5世紀頃、フランスを含むベルギーの全土とオランダ・ドイツ・スイス・イタリアの一部にはケルト人が住んでいました。ケルト人たちは部族ごとに集落を作って自然と一体化した素朴な生活を営んでいたのです。この地域は古代ローマ人たちに「ガリア」と呼ばれていました。

ケルト人の村 
ケルト人の村 
出典:Markéta KlimešováによるPixabayからの画像

紀元前7世紀~5世紀頃、地中海では古代ギリシャ人が勢力を伸ばしていましたが、ギリシャとケルト集落では文明差がかなりあったため、敵対することはなく、ケルト人たちの素朴で平和な営みは静かに続いていました。

カエサルのガリア遠征

こうして平和で素朴な集落生活が続くガリアでしたが、紀元前1世紀半ばから少しずつローマに吸収されていきます。この時期、ローマはまだ帝政になっておらず、共和制をとっていました。そして、獲得した広大な領土を異民族から守っていました。時の為政者の一人(第1回三頭政治の一人)であるカエサルは紀元前58年、ローマに反抗する部族を鎮圧するためにガリア遠征をおこないます。

ガリア戦争の始まり

BC58年、現在のスイスの山岳地帯に住むヘルウェティイ族がローマ属州領域への侵入を始めました。当時この地方の総督となっていたカエサルはこれを危機ととらえ、彼らを押し戻しました。また、この原因を作ったゲルマニア人とも戦い、彼らをライン川の向こうに追いやりました。これがガリア戦争の始まりです。

この後、ガリアの各地で部族が反乱が起こり、それをカエサルが抑えるこということが何度となく繰り返されます。当時、ローマの支配領域と他民族の領域の境はライン川でした。BC55年、ゲルマン部族がこのライン川を越えてガリアへ侵入したため、カエサルはこれを阻止します。ゲルマン部族はカエサルの申し出に応え一時停戦を約束するのですが、途中で約束を破って進撃したため、カエサルは彼らを撃退します。また、反乱軍を匿った集落を焼き討ちにします。

ガリアの集落を焼き討ちにするローマ軍 

ブリタンニアへの侵攻と内憂外患の日々

部族の蜂起にブリタンニア人が加担していることに気がついたカエサルはブリタンニア(後のイングランド)へ侵攻を始めます。しかし、この遠征はうまくいきませんでした。ローマ軍は軍船の破損や兵站の乏しさから苦戦を強いられ、一定の成果が残したものの、ブリタンニアを征服することはできませんでした。

ドーバー海峡

ブリタニアン遠征から戻ったカエサルは部下を置いてガリア監視を強めますが、アドゥアトゥカの戦いで大敗してしまいます。また、同じ頃、本国ローマではカエサルが元老院を無視して事を進めてきたことが仇になり対立します。内憂外患に苦しむカエサルに追い打ちをかけるように、ガリアではウェルキンゲトリクスが焦土作戦を展開しローマの兵站を寸断したため、いよいよカエサル軍は窮地に陥ります。

そして訪れる勝利と平和

アレシアの戦いにてカエサルの軍門に下り、
武器を投げ捨ててみせるウェルキンゲトリクス
1899年 リオネル・ロワイエ作 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

絶体絶命となったカエサルでしたが、困難な時ほどカエサルの能力は発揮されるもので、ルテティアの戦いとアレシアの戦いでウェルキンゲトリクスを打ち破り、ガリア全土はローマの属州となります。
多くの血が流されたガリア戦争でしたが、終結後は意外にも平穏で豊かな属州生活が続き、ガリア人たちは古くから続く自分たちの文化とローマの文化を融合させ、独自の文化を生み出していきました。

ケルトの足跡、カルナック列石

ブルターニュ地方のカルナックに有名なカルナック列石があります。数メートルの高さの石のモニュメント(メンヒル)が長さ4キロの行列を作り、それが3列連なっています。メンヒルの総数は3000体ほどあります。 この列石が建てられたのは紀元前5000~2000年頃と言われていますので、ケルト人がフランスに住んでいた紀元前7世紀~5世紀とは隔たりがあるのですが、一説にはケルト人がお墓として建てた、と言われています。石の大きさが違うのは、亡くなった人の大きさによって石を並べたと言われています。大きな人には大きな石、小さな人や子どもには小さな石といった具合に。 自然を尊重するケルト人らしいですね。

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